（都の友に贈つた手紙）
この寫眞を御覽――
一見すると、まさにアメリカ・インデアンの屯所と見られるだらうが、よくよく見ると僕をはじめいろいろ君の知つてゐる顏であることに氣づくだらう。僕等はここにこんな小屋がけをしておいて、月の凡そ半分を村の假宿からここに移つて奇態な原始生活を營むのだ。
この小屋の傍らには綺麗な小川が流れて居り、この邊一帶は至極日あたりのなだらかな丘なのだ。そして、この丘の向ひ側は森林地帶で、三軒の炭燒小屋があり、その長閑な煙が絶間もなくここからでも眺められるのだよ。
それから、ちよいと此の衣裳に就いての話に移らなければならないのだが、村に來てからは或る止むを得ない都合から僕が一着持つてゐたこんなアメリカ・インデアンの衣裳をつけて僕はそれを外出着にも、平常着にも、仕事着にもして、稀な具合の好さを感じてゐたが、更にかうして森林に踏み入るに及んでみると、僕達にとつてこの服裝は海底作業家にとつての潜水服と同樣なものになつたのである。ついこの間の晩も、この焚火を圍んでさまざまな衣裳哲學論に花を咲かせたりしたが、今や僕等はこの衣裳形式に統一されて凡ゆる活動の腕をのばしてゐるのさ。この鳥の羽根のついた冠なども僕は前にはただの伊達な飾りものかと思つてゐたが、かうして使用して見ると到底口では述べきれぬくらゐに纖細な
それよりも僕がはじめて、この原始人の衣裳を身につけて、この村に乘り込んで來た當初の一エピソードを知らさう。――僕は買物に出かけるにも、居酒屋に現れるにしても、もとよりこれより他にどんなキモノも持ち合さぬのだから、平氣さうな顏をしてのこのこと歩いて行くのだが、意外なことには誰一人嘲笑の眼を向ける者もゐないのだ。それどころか、僕等を都から來てゐる一團と思つてゐるらしい村人達は、これが近頃都の流行の尖端を切るいでたちなのか！ シックスタイルとは、あれか！ おお、都の人達は近頃あんな身裝で、あんな歌をうたひ（君も知つてゐるだらう、僕は稍々ともすればナンシー・リーとか、リング・リング・ド・バンヂョウとかなどといふおそろしく古めかしい唱歌を恰も今日の流行小唄ででもあるかのやうに鼻にかかつた音聲で口吟む習慣を――おまけに、田舍だから、田圃道などに來かかると、川向ひの野良で仕事をしてゐる人達の耳にまでも響くほどの誰憚からぬ大聲をあげて歌ひ歩くのだ。）――あんな風に面白げに風を切つて銀座通りを押し歩いてゐるのか？ あんな歩き振りを稱してギンブラとかと云ふのか？ あれがモダン何とかとでも云ふのであらうか？――
そんな風に思ひ違へてしまつて、熱く憧れの眼を輝かすに至つたのである。さうかうするうちに、或日のこと、Ｅといふ水車小屋の若者が思ひ切つて、おそるおそる僕の袖を捉へて、實はこの間東京のデパートへこれこれの品物を、――あなたの、これを、行きずりに見た通りに繪に誌して、大至急の註文を出したのであつたが、折り返し「品切れ」といふ斷りが來た。おそらく、賣切れてゐるのだらう？ と思ひ、途方に暮れてゐたのだが、さあ、もうかうなると一層矢も楯も堪らなくそいつが欲しくなつたので、お願ひする、四五日の間拜借させて貰へないだらうか、これを雛形にして町の洋服屋で仕立てて貰ふ決心をしたのだから――と云ひ張つて諾かぬのである。若者の目つきは、僕が若し、否と云へば、暴力に訴へてでも……と告げてゐるかのやうに烈しく氣色ばんでゐた。
僕は、沈んだ調子になつて、こんなものは流行でもなんでもない、他に着るものがなかつたのでよんどころなく、まあ、こんな人里離れた所だからよからうぐらゐで始めたわけなので、村の人達に見られる度に内心冷汗に堪へられぬ思ひがしてゐたのだ。憧れの眼で見られてゐたなんて夢にも思はなかつたよ、そいつはどうも何とも恐縮の感だね、――などといふことを切なく述懷したのであるが、Ｅは却つて僕の言葉を信ぜぬ有樣だ。
「君は、若しもデパートから、こんなのがとどいたとしたならば、それを着て、ギンブラへでも赴く程の心地も持つたの？」
「勿論ですとも――」
「それは大變な間違ひだつたよ。こんなものを着て東京へ行つたら、忽ち囚はれて、松澤病院へ案内されるに決つてゐる。」
そんな強い言葉を持つて僕が打ち消したのであるが、彼は餘程物數奇な男とみえて、流行であらうとなからうと頓着ないのだ、かうなれば私は是が非でも、それが欲しいのである――
「あなたが――」
と彼は僕を指して云ふのであつた。あなたが、この鳥の羽根の冠を風に飜しながら、そして、ガウンの裾を肩の上にはねあげて、田圃道などを歩いて行く樣子は、ほんたうに勇ましげに見え、いつも思はず振り返つて、その颯爽たる姿が指呼のかなたに沒するまで惚れ惚れと眺めてしまふ……
「あの人に比べると、おそらく體格の堂々たるあなたが――と私のスヰート・ハートが、私に向つて度々云ふのです……」
と若者は凄まじい聲色をつかつて云ひ續けるのであつた。――「あなたが――と彼女が云ふには――つまり、私のことですよ、あれを着て歩いたらどんな立派なことだらう、馬に荷物を積んで市場へ行つた歸りに、馬を飛ばせて戻るあなたの頭に、あの冠が飜つたら、――ああ、あたしはどんなに有頂天になることだらう、どんなに嬉しい心地であたしは、あなたを村境ひの丘で迎へることが出來るであらう。」
若者の言葉の調子は益々逆上して、息苦しげにさへ僕に映つた。
「僕達二人は、いつもあなたを見るにつけ堪らない物欲しげな眼を擧げて、そんなことを云ひ暮してゐたのですよ。私の彼女は云ひました――あんな痩ッぽちのチビ男が着てさへ、あんなに立派に見えるあのガウンを若しも……アッ！ これはどうも失禮、うつかり飛んだこと……」
「構ひませんよ。その通りですもの――」
と僕は鷹揚に點頭いたものの、内心相當の不愉快が卷き起り、ついさつきまでは、それほどまでにこんなものが欲しいといふのなら、もう少しで、現在妻が編みつつある素晴しいアメリカン・ビュウティのセーターが出來あがる由だから（無論僕は、セーターが出來あがるまでの一時しのぎに、こんなものを着用してゐたのであるから――）進呈しよう！ と思つてゐたが、それから引き續いて若者はいろいろな交換條件を提出してまでも、讓り渡しを頼んだのに僕は、
「まあ、考へてみよう。」と一言云ひ殘して、その場を立ち去つた。
ポーカーに負けた僕が或晩遲く居酒屋へ酒を買ひに行くと、先日のＥをはじめ、馬蹄鍛冶屋のＹ、村長のノラ息子、森の炭燒家、川向ひに住む執達吏、その他幾人かの屈強な男達が車座になつて何か密議に耽つてゐた。大方選擧に關する相談でもしてゐるのだらうと思つて僕は親爺が酒壜を荒繩でからげるのを片隅で待つてゐると、Ｅが傍らに來て丁寧なお辭儀をした後に、また例の交渉をきり出すのであつた。僕はポーカーに負けて少々向ッ腹が立つてゐたところだつたので、
「そんなに欲しいんなら、持つて行くが好いさ――」
と云つて、先づ帽子を脱ぎにかかつたのである。すると、突如！ ワッといふ叫び聲が擧つたかと思ふと車座が飛び散つて、猛獸のやうに彼等は僕に飛びかかり、口々に「俺だ！」「いや俺のだ！」「馬鹿を云ふな、俺が貰つたんだ。」と怒號しながら、まるで紙屑のやうに僕をもみ倒してしまふのであつた。僕は、苦しい苦しい！ 待つて呉れ！ と悲鳴を擧げながら素早く身を交して渦卷の中から飛び出したのだが、更に彼等はワーッ！ といふ鬨の聲を擧げて追跡にかかつたのだ。寒い、明るい月の晩だつたよ。僕は白い街道を一目散に驅けながら、いよいよ堪らないと思つて、次々に身に着けてゐる品々を脱いでは棄て、脱いでは投げして、終に全裸のパンツ一つになり、宙を飛んで吾家に戻つたのである。
間もなく村の若者達の大半は、この服裝に變つたのである。僕のを雛形にして、これが青年團の正服に制定されるといふことになつてしまつた。
「當分の間でも構ひませんから、あなたがひとつ村の青年團長となつて、思想善導の任にあたつてくれませんか。」
恭々しく雛形を返還に來た村長は端然と坐つて僕に云ふのであつた。僕は種々の理由から推して、誠に殘念ながら左樣な名譽職の席に登り得るものではない――と漸くのことで辭退はしたのであつたが、そんなことが機縁になつて村の若者達と深い親交が結ばれるやうになつたのだ。
僕等は半分森林近くのキャムプに住ふことになつてゐるのだが、休み日とか、通りがかりのついでとか、月夜の晩とかには必ず彼等のグルウプがやつて來るのであつた。
炭燒の若者や、獵師達も、皆な不斷にこれを使用してゐるので、彼等が馬に乘つて彼方の谷間を驅けてゐるところや、野良で働いてゐるところでも、牧場で牛を飼つてゐる姿を望見しても、僕は、いちいち、大變な國！ に來てしまつたといふ風な妄想に走らせられたりするくらゐなんだよ。
君、この同封の幾枚かの寫眞を見て、君にしろ、これが、新宿を起點とする小田急電車を柏山といふ小驛に降り、西北を指して五六哩――二つの丘を越えた高地で、山にとり圍まれた盆地の小村であり、然も千九百三十年の春であり、半日もかからないで君の處へ遊びにも行かれるなんていふところの風俗と思へるか？
同封の寫眞は主に村長のノラ息子が撮影したものだ。少々説明してやらう。（１）は總選擧の當日に於ける村役場の前だよ。入口の受付に陣どつてゐるインデアンは、例の水車小屋の若者Ｅだよ。得意然と腕を組んで、強さうな顏をしてゐるだらう。次の（２）は當日の居酒屋の前で民政黨の運動員が歡喜に踊つてゐる光景だよ。彼等は、云ふまでもなくこの服裝で凡ゆる運動に從事したが、どこへ出るにも馬に依つて山を越えなければならないといふ村であつたから、今回はこれで大變に機敏な活動が出來たといふ話で、寫眞の（３）を御覽！ 一人のインデアンが、一團の同族に胴あげをされてゐるだらう、それは――擔ぎあげられてゐるのは僕で、僕がその時不圖通りかかつたのを見ると、彼等は一齊に居酒屋の中から飛び出して來て、
「君のお蔭で全く愉快な活躍が出來たんだよ！」
「有りがたうよ。」
「感謝するよ！」
などと云ひ放つやいなや、まるで僕を代議士當選者ででもあるかのやうに、有無を云はさず手どり脚どりして、三度も空中にはふりあげやがつた！ それを案の定、通信社の寫眞班が當選者と見誤り、驅けつけてパチリとやつたのだが、後で話をきいて、無駄寫しをしてしまつたのが解り、不用なもので冗談にして僕に屆けてよこしたりしたものさ。（４）――これは森の傍らにある僕等のキャムプだ。左手にある小屋は以前に炭燒の家族が住んでゐたのだが彼等は去年の暮更に奧深く森の中へ移ることになり、空家になつたので僕等が借りうけたものである。斧を振りあげて薪をつくつてゐるインデアンは僕で、傍らに鐵砲を磨いてゐる山女が僕のワイフだ。牛飼のＥといふ男が來ると、この男鐵砲の名人で、いつでもこのまはりで忽ち二三羽ぐらゐの小鳥を落して中々うまい料理をつくつて呉れる。
寫眞の（５）は、村にある僕等の借家での酒盛の光景だ。山の神樣の祭り日といふ目出度い日があつて順番に仲間の者の家を宿として、飮み、歌ひ、踊る――のである。飮み――だけの仲間入りは辛うじて出來るが、新來の僕等には歌は常に聽手であり、踊りは常に見物人であることは言を俟たない。
寫眞の（６）を見よ――これが山の神樣の祭り日の踊りの實景だ。踊り手がこのユニフォームだから、かうして火のまはりをまはつてゐる姿は、眞のインデアンに見えるだらう。
この踊りは相當の熟練を要するらしい。寫眞の一端に一人、妙なかたちで、不揃ひに腕を振りあげてゐる男があるだろう。これは君も知つてゐる大學生のＨだよ。僕等と一緒にここまでも來てゐるんだ。Ｈの奴、この時、あんな踊りぐらゐ俺だつて出來るに違ひない、キャムプ・ファイアのまはりで俺達がやるトラパトウレと大同小異らしいぢやないか、演つてみよう！ と調子に乘つて無造作に仲間入りしたのであるが、一向に調子が合はず一回りもしないうちに忽ちあかくなつて脱け出るべく餘儀なくされた始末さ。寫眞の樣子でも解るだらう、あの息苦しくテレくさげに切羽詰つたらしい氣の毒さうな姿が！
（７）の寫眞は、丘の芝原に寢て僕が讀書してゐるところを不知の間に寫されたものだ。讀んでゐるのは文藝雜誌だ。インデアンが山の上で文藝雜誌を讀んでゐるなんて突拍子もない光景だが、天氣の好い日はここにかうしてゐると、僕の經驗範圍の凡ゆる室内は快に於て比ぶべくもないのだ。この通信も大方ここでかうして書いたんだよ。冠だけは日除のために（好適）かう、被つてゐるが上半身は全裸ではないか。――次の寫眞（８）は、ＥとＨとワイフとが、午飯を擔いで俺の在所を探しまはつてゐるところさ、俺が見つかり次第その場にディンナー・パアティを開くわけさ。ワイフが口にくはへてゐるのは呼子のサイレンだよ。どうかすると谷を越えた向方の山蔭へなど書齋を移してゐる俺の注意を呼びさますために、丘の頂きに立ちあがつて信號をするのである。何しろこんな鍋や飯盒をぶらさげて谷を渡つたり、丘を越えたりするのでは堪らないから、サイレンを聞いた時には、こちらでも立ちあがつて音響の方へ驅け出すべき約束なのである。
それはさうと、今時は麗らかな日ばかりが打ち續き、まだまだ爬蟲類も出沒しないし、間もなくすたつてしまふであらうこの珍奇な風俗が盛んの間に幾分の好奇心を持つて訪れて來ないか。僕は僕で、そちらの流行に就いて君に依り教示を得なければ居られない多くのものがあるだらうから――その時は新型洋服のカタログと二三本の新柄ネクタイと鏡を一つもつて來て呉れ、その上で僕等は新しい着物に着換へ、何ケ月振りかで鏡に向ひ、粹なネクタイでも結んで、君と共にここを引きあげるつもりだから。
やあ、サイレンの音が響いて來るよ。――さつきから鐵砲の音が一つも鳴らぬやうだつたから（かうしてゐても僕は、何となくそれに氣をつけてゐるんだぜ）今日の午飯は、おそらくまた肉類なしの、芋の主食であらうが、かうしてはゐられないから向方の丘まで駈出して行く、空腹だよ――さよなら。